TJ天気予報 社長インタビュー

TJ天気予報 社長インタビュー

愛知、岐阜、三重県で24店舗展開中の「TJ天気予報」。
一度聞いたら忘れないユニークな名前、そして日本人なら誰でも懐かしさを感じる校舎風の建物。木の床は立ち仕事の美容師さんが疲れないように、という配慮からだそう。「笑顔いっぱい溢れるサロン」が合言葉。いち早く法人化し、一般企業並みの待遇を整備。その魅力に全国から美容学生が集まるサロンでもあります。2012年は創業から35年という記念すべき年。今年4月に社員が企画したという35周年記念パーティーが盛大にとり行われました。未来に向かってますます躍進されていく、東海だけでなく全国的にも注目されているサロンです。

今回の「心シリーズ」はそのTJ予報の大前陽子社長の特別インタビューを掲載させて頂きます。ご自身の美容師になろうと思ったきっかけ。TJ天気予報の創業秘話。美容師の魅力についてたっぷりお話しして頂きました。

株式会社TJ天気予報 代表取締役社長 大前陽子氏本社/愛知県一宮市千秋町浅野羽根古金島9-1
愛知、岐阜、三重県下に美容サロン24店舗、エステサロン2店舗経営。ご主人は大前武司代表取締役会長。
創業/1977年(一宮市丹羽町に「美容室TJ」がオープン。)

まずは美容師になろうと思ったきっかけについて教えて頂けますか幼い頃に両親が離婚して母子家庭で育ちましたが、私が小学校の低学年位から母が美容師として働いていました。夏休みなども、母が働いているサロンに行き、母が仕事をする傍ら客待ちの椅子に座ってお人形さんの髪の毛を触って遊んでいたので、幼い頃から美容師という仕事が身近でした。

成長して将来の事を考えるようになり、本当は学校の国語の先生になりたかったのですが経済的に大学へ進学するゆとりもなく、また学力もダメだったのですが(笑)、母を見ていたので自然と私も美容師になるんだろうな、という風に考えるようになりました。銀行に勤めるお友達が多く、私も銀行への就職・・という事も少し考えましたが、やはり美容師という仕事はやればやっただけ可能性がありますし、自分で道を切り開いて行けると思い、美容師になる事を決めました。

面白いエピソードがあったら教えて下さい高校は親元を離れて寮に暮らしていたのですが、寮のお友達の髪をカットしていました。もちろん、専門的な技術などないですから、見よう見まねです。とても美人のお友達がいて全部2cm位のベリーショートに切ってしまったり、恐いもの知らずと言いましょうか、お友達もおおらかだったお陰で楽しくカットさせてもらっていました。本当に楽しい思い出です。

最初に就職されたサロンはどんな所だったのですか最初に就職されたサロン岐阜の美容学校へ進学し、美容師免許を取得しましたが、学校に面倒を見てもらおうという発想がなく、就職先は自分で決めました。

岐阜のお店でしたが凄く流行っているサロンで、当時37歳位の女性オーナーでした。教えて頂けるなんて事はなく、逆に何でもやらせて頂け、気がついたら美容学校を出て1年過ぎてもうカットに入っていました。

でも、もともと高校時代からお友達の髪をカットしていたように、度胸が据わっていたので、どんどんお客様を担当し、どんどん仕事を覚えて行きました。

その後、独立されるのですよね当時、母も自分のサロンをやっていましたので、母と一緒にサロンをやることにし2年間サロン勤務して、22歳で独立しました。勤めていたサロンは大忙しでしたが母のサロンはヒマで当時は生活していくのに精いっぱい。母子ふたりで家賃4500円の長屋で生活していましたが、それでも頑張ってなんとか26歳の時にオンボロですが中古の家を買いました。

私にとって1400万円という初めての大きな借金をしました。 もう頑張って働いて行くしかありません。母は私が養って、サラリーマン男性と結婚するんだろうな、と思っていました。サロンも何とか軌道に乗るようになり、28歳の時に拡張移転し、初めて人を雇いました。技術者は私と母。いとこと、そしてもう一人見習いの女の子がいて合計4人です。借金はこの時2300万円。30歳まではとにかくがむしゃらに仕事をして借金を返し、貯金をし、30歳から自分の違う人生を見つめて行こうと考えていました。

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